Ver.22.05
ぱぱちについて

ざっくり言えば・・

ぱぱち(よしもとたけし(46)):占い師、元家庭教師(実績は、東大理Ⅰ現役合格、早稲田、慶應合格、偏差値70の公立高校合格など)、プログラミング(ぱぱち占いもLaravelで作成。受験の知識を活かしたそわそわネットなども。)
ちゃむ(嫁):ぱぱち占いの絵はすべてiPadでクリスタで描いてくれています。(多謝多謝♪)

ぱぱち占いをやるようになった経緯は、以下で説明しています。せっかくなので物語風にしています♪

ぱぱち少年の物語

誕生のとき

1978年12月18日、深夜0時59分。 高知市の赤十字病院の静寂の中、ひとつの小さな命が生まれた。地球33番地に限りなく近いその場所で、 ぱぱちはこの世に生を受けた。
本名は吉本健(よしもとたけし)。 ♍おとめ座アセンダント、血液型はA型。
高知生まれ、大阪育ち。 この地で育つことになったぱぱちの人生には、 優しさと強さを与えてくれる二人の女性の存在があった。

おばあちゃんの教え

ぱぱち少年は、特におばあちゃんの影響を強く受けて育った。おばあちゃんは貧しい家庭に生まれながらも、驚くほどの学力を持っていた。弁護士になる夢を抱きつつも、経済的な事情から小学校の教師となる道を選ぶ。戦争を経験し、数えきれぬほどの困難を乗り越えながら、教え子たちに道徳と知識を授けた。
そんなおばあちゃんの眼差しは、ぱぱち少年にとって特別なものだった。厳しさの奥にある優しさ、そして無償の愛。彼は幼いながらも、おばあちゃんの教えを心から受け止めた。
おかんがぱぱちを妊娠している間に風疹を患ったときも、おばあちゃんは毅然とした声で言った。
「産んだらええ。体が悪かったら、こっちでめんどうみちゃるき。」
その言葉が、ぱぱちの誕生を支えた。

やさしいおかんの影響

ぱぱちは三人兄妹の真ん中だった。年子の兄と、三つ下の妹。彼らの母──おかんは、まるで昭和の理想的な母親のような存在だった。おかんはいつも穏やかで、優しさにあふれていた。それでいて、家事も育児も完璧にこなす。ぱぱちが幼い頃、家族で海に出かけたときのことをよく覚えている。兄と遊びながら、ふとおかんの方を振り向くと、必ずこちらを見ていて、目が合うとにこっと笑って手を振ってくれた。
そんなおかんの影響で、ぱぱちはとても繊細な少年になった。気にしすぎる性格で、些細なことでもずっと考え込んでしまう。
例えば、小学一年生の国語の時間。「教科書を読んでください」と指名されると、立ち上がるものの、声が出ずに固まる。そして注目を浴びて耐えきれず、泣いてしまう。そんなことを何度も繰り返した。
夜、寝るときもそうだ。横向きに寝ると「兄が目を覚ましたときに、背中を向けていたら寂しいと思うかもしれない。でも反対向けば、今度は妹が悲しむかもしれない……」と、そんなことを考えながら、深夜まで眠れずにいた。
学校では、おとなしくても、周囲のことをよく見ている少年だった。授業で「持ち物を持ってくるように」と指示されれば、必ず二つ余分に持っていった。クラスには必ず数人、忘れる子がいる。その子が誰であれ、さっと渡す──それがぱぱち少年の日常だった。
その優しさゆえに、ぱぱち少年はみんなから好かれていた。
また、ぱぱちはおかんに似て、控えめな性格だったが、男子であるためか、おとなしい分、研究熱心な一面も持っていた。ある日、父の部屋で偶然見つけた「ツボ押し」の本に興味を持ち、「ここを押すと肝臓に効くらしい」と、見えないけれど理屈のある世界にわくわくした。

試練

そんなぱぱち少年の平和な日常が、 小学5年生のときに突然崩れた。
学年主任に目をつけられたのだ。
それは、卒業式の練習中。 身長の低いぱぱち少年は、 いつもは前から2番目で並んでいたが、 その日は男子と女子が2列ずつ並ばされ、 ぱぱち少年は一番前に出ることになった。
「仰げば尊し」を歌う時間。
ぱぱち少年は、小さな声で歌っていた。
しかし学年主任は、 「この子、一番前で何をしているの?」と ぱぱち少年を怠けていると決めつけた。
それ以来、 修学旅行、合唱コンクールなど学年集会のたびに、 ぱぱち少年は立たされ、答えのない質問をぶつけられた。
「修学旅行に行くにあたり、まずすべきことは何か?」
ぱぱち少年は黙った。
300人の前で、 たったひとり、 沈黙したまま立たされ続けた。
このとき、ぱぱち少年は「おわった・・・」と思った。この後クラスのみんなにバカにされていじめられるとしか思えなかったからだ。

しかし、誰もぱぱち少年をバカにしなかった。
誰ひとり、その話を口にしなかった。ぱぱち少年は不思議に思った。

二度目に立たされたとき、 ぱぱち少年は疑問を抱いた。
「なぜ誰も助けてくれないんだろう?」
答えは単純だった。
立ったまま周りを見渡すと、うつむいている子、浮かない顔をしている子、見て見ぬふりをしている子ばかりだった。
「みんな怖がっているんだ……。」

三度目のとき。
ぱぱち少年は思った。
「どうして、こんなにもやさしく生きてきたのに、  ただ声が小さいだけで、こんな仕打ちを受けるんだろう・・・」

そして、 ある決意が生まれた。
「あ、そうだ。いやがらせをしよう。」
そう思った途端、 すべてが吹き飛んだ。
「答えろ」と言われても答えない。 「歌え」と言われても歌わない。
それだけだった。「この学年主任が心の底から嫌いだ。だから絶対に従わない。」シンプルにただこれだけを考えていた。ぱぱち少年は 300人の前で何時間でも立っていられる覚悟を決めた。
やがて、 学年主任はあきらめた。
クラスメートたちは、ぱぱち少年を新たな目で見ていた。

この経験から、ぱぱち少年は3つのことを学んだ。
 1. 人は結構やらかしても嫌いにはならない。
 2. 戦うときは、シンプルな思考が一番強い。
 3. 自分を押し通しても、意外と人はついてくる。

物理学を専攻

時が経ち、ぱぱちは高校、大学と進み、物理学を中心に学んだ。その一方で、東洋医学や西洋占星術といった「理屈がありそうな分野」にも興味を持ち、独自に研究を重ねた。しかし、ぱぱち青年にとって、それらは科学的な確証に乏しく、信頼に足るものとは思えなかった。
大学での学びを深めるにつれ、物理学の世界の厳しさも痛感するようになる。膨大な研究が積み重ねられているものの、論文の結論はしばしばわずかな可能性に言及するに留まり、期待していた「決定的な答え」に出会うことは少なかった。その視点から見ると、西洋占星術はなおさら曖昧で、核心をぼかしたままの学問に思えた。

その後も物理学を探求し続け、アメリカの大学院へと進んだ。授業は順調にこなし、成績も優秀だった。しかし、ぱぱち青年の心の奥底には、物理以上に惹かれるものがあった。
──「人の心に直接役立つことがしたい。」
物理学の理論は確かに美しく、知的探求としての魅力に満ちていた。しかし、学びを深めるほどに、それが人の悩みや生き方に直結するものではないことに気づき、次第に心が離れていった。

インド占星術との出会い

そうして模索を続ける中で、ぱぱちはインド占星術に出会い、本格的に学び始めた。その奥深い理論体系に触れるうちに、単なる占いとして片付けるには惜しいと感じるようになる。
確かに疑わしい部分も多い。しかし、量子力学が確率と確実性のはざまで成り立っているように、インド占星術にも何かしらの法則があるのではないか──そう直感した。持ち前の研究熱心さも相まって、「インド占星術を日常生活で実用的なレベルに高めること」が、いつしかぱぱちの研究テーマとなっていった。
それから長い歳月が流れ、試行錯誤を重ねる日々の中で、ぱぱちは一つの答えにたどり着く。絵心のある妻の全面的な協力もあり、18年後、ついにその研究は結実した。人の個性を深く読み解くための「ぱぱち占い」が誕生したのだった。

占いにかける想い

「占いなんて、うさんくさい。」
そう思われることは重々承知している。
医学は病を発症してからの対処が前提となり、カウンセリングは受ける人の答え方次第で結果が左右される。しかし、もし占星術が“本当に使えるもの”だとしたら──本人が何も語らずとも、その人の個性や宿命を読み解き、成長や人との調和へとつなげることができるのではないか。
おかんの優しさと繊細さを受け継ぎ、おばあちゃんの道徳心を胸に刻み、そして自分の信じた道を貫く。
その精神は、確かに「ぱぱち占い」の中に息づいている。
「どんなに控えめな人でも、その輝きを見つけ、引き出すことができる占いを──。」
これが、ぱぱちの物語である。

Afterword♪

おわりに

ぱぱち占いでも気をつけているつもりですが、
「収穫ばかり気にして、種を撒いていなかった。。」とならないように
あくまでも現実的な目線を忘れないでくださいね♪

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